Rouleur Magazine issue 17.1
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Rouleur Magazine issue 17.1

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これまでもデザインや紙面のアレンジを大胆に変えてきたルーラーマガジン。これまでのイシューで数えると今号は68号になりますがこのイシューより表記が変わりissue 17.1となっています。フォントなどのエディトリアルの部分も細かく変更になってよりリアルな表現になっているような印象です。 FLOYD DOES VEGAS, REDACTED 2006年ツール・ド・フランスを制したものの薬物使用のためそのタイトルを剥奪されたフロイド・ランディス、彼はいまアメリカの新たなゴールドラッシュとも言われるマリファナビジネスをUSポスタルで一緒だったデヴィッド・ザブリスキーとともに手がけている。 "最初から自転車に関わらずにドラッグビジネスに取り組んでいればよかったと思う"  -もっとお金を稼げた? "だと思う"  -もしそうならランス(アームストロング)もクールな奴だと思えたかな?そう、売人として。 これまでもサイクリングカルチャーの堕ちたヒーローであるランス・アームストロング、ヤン・ウルリッヒのインタビューを敢行してきたルーラーの名物コンビがラスべガスでスって、吸って、吐いて、聞き出した自主規制全開の××××な××××。 MUDDY HELL: PARIS-ROUBAIX 2002 この15年バッドコンディションのないパリ-ルーベ。雨と泥そして石畳、最後のマッドエディションとなった2002年の北の地獄を The Fatal Eight-トム・ボーネン、ハンス・デ・クレルク、マット・ヘイマン、ジョージ・ヒンカピー、ロビー・ハンター、ラルス・ミカエルセン、ヨハン・ムセウ、マックス・シャンドリ-運命の8人が各々語り出す。 "泥の石畳は全くの別物。まるで石鹸に覆われているようなんだ。僕はずっと冬のベルギーでシクロクロスを多くやってきたからどちらかとういうとそれには慣れていた。"トム・ボーネン "何を考えているかって?クラッシュをしない、ブレーキを強く握らない、おかしなターンをしないってこと。なぜって常に体の下でホイールがすべっているから。"ロビー・ハンター "マッドコンディションであれば最初の石畳セクションでトップ10に入れとチームから怒号が飛ぶ。もしそれが15位なら再び前の集団を見ることはないだろう。"-ジョージ・ヒンカピー "残り45km地点メリニーでのアタック。一人で逃げるには長いってのはわかっていたけどそれが作戦ってものさ。こんなに早く飛び出すなんて前の日には考えもしなかった。行けるって思わなかったらフィナーレまで待つけどあの日の僕はとても良かった。自分がベストだって100パーセントの確信があった。"-ヨハン・ムセウ CAPE OF GOOD HOPE 2015年、奇しくもネルソン・マンデラの日にスティーブ・カミングスによるグランツール初勝利(ツールドフランス第14ステージ)を挙げた南アフリカ共和国のチームディメンションデータ。 ツールではダニエル・テクレハイマノの4日間に渡る山岳ジャージ獲得や翌2016年にはマーク・カヴェンディッシュによる4つのステージ優勝など目覚ましい成績を残しているがUCIポイントトップ5人はアフリカの選手ではないのも事実である。 ディメンションデータはイタリア、ルッカに育成チームの拠点を持ちアフリカの選手がヨーロッパで戦うための環境を整えている。 "UCIは育成組織やチームを持つよう押し進めているが私たちの3・4倍の予算を持ったワールドツアーチームが、本当かどうかは知らないが、そんな金はないっていうんだ。" マンデラ以前のアパルトヘイト政策によって奪い取られた土地の廃材で作られた家。ドラッグやアルコール依存、HIV感染に怯えて暮すコミュニティ。ニコラス・ドラミニはそんな環境から見出された育成チームのレーサー。 "向こうに行けば僕は一番遅いやつらの一人だしアフリカとは違った文化にも適応しなきゃいけない。だけど今はチームワークの面でもだんだんと良くなっていてトップ10に入るようになった。今はそこからさらに勝ちを狙っている。" ディメンションデータのキャッチフレーズは"自転車は人生を変える"。MTNキュベカ時代から取材を続けているチームのこれまでとこれから。 TOUR DE LANGKAWI 1996年オーストラリアに戻る飛行機の中22万米ドルをブリーフケースに入れたジャイアントAISのマネージャー、ハイコ・ザルツヴェデルはナーバスになっていた。チームはアジアで最も大きなステージレース、ツール・ド・ランカウェイで勝利を収めたのだった。 "大事な点はこのスポーツで現実的に幾らかのお金を、ヨーロッパへ行くことなしに得ることができるのだとレーサーたちが理解すること。" 1993年、大統領のクレイジーなアイデアだと思われたマレーシアでのステージレースが3年後にUCIのカレンダーに組み込まれた。それはいかに始まったか、マレーシアが持つ独特な気候・地形はいかにレーサーを苦しめ、また空に昇るような経験をさせたか、そしてマレーシアの人々にどのように受け入れられたか。 "問題はあったが我々はオーガナイザーとともに取り組んだ。彼らは感度が良く、私たちの話を聞きそして学んだ。それが正しい方向へ進めた点だった。" "国中がそのレースに熱狂していた。ファンはレースがどうなっているのか知らない。何時間待っていても五分後には全て行ってしまう、大きな埃の一団が向こうからやってくるのを見ている。そしてまるで楽団が大きな音を鳴らすようにその一団は町なかを通り抜けて行く。" BROKEN BONES AND HEALING HANDS ボーネン、ファン・アヴェルマート、ファン・デル・ポール、ファン・アールト…、名前を挙げだすとキリがないほど多くのトップレーサーの骨折を診てきた外科医トーン・クレス。2011年ツールの5週間前にカデル・エヴァンスは鎖骨骨折でクレスの元を訪れた。 "彼の場合は折れた方向がよかったのでプレートによるブリッジではなく伝統的な治療にした。筋肉や血管組織をみだりにいじらないように。プレートによる治療の一番のリスクは血流を妨げてしまうことなんだ。" エヴァンスは5週間後ツールで総合優勝した。 父親とともに外科医である息子のトムは、 "家でロンド・ファン・フラーンデレンを見ていて、ファン・アヴェルマートがクラッシュして鎖骨を折った時僕は「来た」って思った。その瞬間僕は観客から外科医になるんだ。" 熱心なサイクリングファンでもある外科医一家クレスファミリーの仕事の流儀。 No Place Like Drôme フランス南東部ドローム県で2月に行われるドロームクラシックは前日に行われるスュド・アルデシュのセカンドレース。UCIのヨーロッパツアー昇格後の2013年は雪によりキャンセルされたほど寒く、アップダウンの激しい古い町を駆け抜けた上フィニッシュは3kmの登りというテクニカルでタフなレース。"ワールドツアーレースのオムループ・ヘット・ニウスブラットと同じぐらいだ。"とは2016年2位のヤン・バークランツの弁。 ドローム・アルデシュの2レースで350万ポンドという少ない予算ながらロメイン・バルデ、エステバン・チャベス、トマ・ヴォクレール、アダムとサイモンのイエーツ兄弟というトップレーサーやチームを惹きつけるこの新たなフレンチクラシックは旧態依然としたフランスのサイクリングシーンを変えるものなのか。